Hush / Asobi Seksu

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[Hush / Asobi Seksu] (2009)

 

 

 

Asobi Seksu、アソビセクスと読むそうです。随分スケベな名前やね。

 

僕が好きな音楽ジャンルの一つに”シューゲイザー”というものがあるのですが、今日はそのジャンルの中から日本ではそんなにメジャーではないかな?(主観です)というバンド、「アソビセクス」を取り上げてみたいと思います。

シューゲイザーというジャンルの説明については、僕のあやふやで稚拙な文章よりは、ググって出てきたページを片っ端から読んでいったほうがご参考になるかと思いますので省略)

 

アソビセクスは、リバイバル・パンク全盛期を迎える2001年のアメリカ合衆国NYで結成されたシューゲイザー・バンドなのですが、ボーカルはなんと沖縄生まれの日本人女性。幼少の頃にはアメリカへ移住しているそうなので、一概にナニ人だと決めつけることはできませんが、1stアルバム・2ndアルバムでは約半数の曲に日本語詞を用いていて、ちょっと親近感が湧いたのもまた事実です。海外結成のバンドで日系人が日本語詞を歌う…。なんとなくダモ鈴木率いるCANを彷彿とさせますね。

 

そんな中で2009年にリリースされたこの3rd「Hush」では、日本語詞を含む曲は3曲(M4,M8,M13)に抑えられたものの、彼らの持つドリーミーでキュートなサウンドは健在。その一方で、2作目までのインディ感・シューゲイズ感は鳴りを潜め、正統派ドリーム・ポップバンドとしての第一歩を踏み出す決心をした、今までとは違う心意気を感じるアルバムでもあります。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインというよりは、ペイル・セインツのような、でもペイル・セインツのような寒々しさはない、個人的にはクリスマスの時期に聴きたいサウンドやなあ、だなんて思うのですが、皆様はどのようにお受け取りになるのでしょうか。

残念ながら国内盤にのみ収録されているようですが、僕のオススメは14曲目"Breathe Into Glass"。このアルバムを総括するかのような荘重さと、旅の始まりにも似た高揚感を同時に感じさせる名曲であります。現在、京都府北部の山奥にある実家でこの文章を書いているのですが、曲調とド田舎の相乗効果でなんだか窓から妖精が入ってきそうな雰囲気。笑

 

2007年と2012年には来日公演も果たしているアソビセクス。13年に一旦活動休止を宣言をしながらも翌14年にはスロウダイヴのライブの前座を務め、これからの活動が期待されています。いつか生の演奏を聴いてみたいものですね。

 

 

 

 

 

Hush

Hush

 

 

 

Dummy / Portishead

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[Dummy / Portishead] (1994)

 

 

陰鬱!暗然!ダウナー!

 

ポーティスヘッド。1991年にイギリスはブリストルで結成された音楽グループ。

歴史的にイギリスでも有数の港湾都市であったというブリストルは、労働者不足の緩和を目的として、1950年代より主にカリブ・インド諸国からの移民を多く受け入れていたそうです。そんな多様性溢れる街でダブ・ヒップホップ・エレクトロニクスなど、様々なジャンルにインスパイアされて生まれたグループが、そう、ポーティスヘッドなのでした。

(当人はこの分類を忌避するも)背景やルーツそしてこの後のムーブメントから見て、彼らは異論なくトリップ・ポップというジャンルにおける第一人者であり、僕自身も作曲を行う上で大いに参考にさせてもらっているグループでもあります。

 

そんなポーティスヘッドのメジャーファーストアルバムであり、かつ最高傑作とも言われるのが1994年発表の「ダミー」。晴れた日の公園で聴いていても、目を瞑れば真夜中の路地裏を独りで歩いているような気分に!それくらい全編を通してダウナーな雰囲気を持つ一方で、全英2位・全世界で350万枚(!)を売り上げるような商業的成功もしているアルバムでもあるとは驚き。オアシス、スウェード、ブラー等々ブリッド・ポップが権勢を誇っていたはずの90年代音楽シーンに、このアルバムがトリプルミリオン…。明暗のどちらかで言えば"暗"のイメージがあるであろうイギリスとはいえ、数字に表されてしまうと改めてびっくりしてしまいます。イギリス行きたくなってきました

 

無意識に頭でリズムを取ってしまうような、ダブやヒップホップの影響は1曲目の"Mysterons"から強く感じることができます。そして甘ったるくもメランコリーな声で「Nobody loves me」と歌い上げる2曲目"Sour Times"、ブレイク前のギターが何ともお洒落な3曲目"Strangers" etc… 1曲々々を取り上げてはキリがないですが、とにかくどの曲も暗い、美しい、カッコいい。1stアルバムでここまで完璧な曲を作れるなんて…初めて聴いた時は本当にびっくりしました。

そしてなによりすごいのがそれぞれの曲が強烈なキャラを持つ中で、1つの綺麗なアルバムを作り上げたということ。音楽に限らず、特定のものに強く思い入れないというのが僕の人生(?)におけるモットーなのですが、このアルバムの前にはヘビーローテーションするより他ありませんでした。

 

 

 

これは自分の中でのポーティスヘッド・ブームが過ぎてから知ったことなのですが、この「ダミー」というアルバムは"スパイ映画のサウンドトラック"というテーマのもと制作されたなんだそうです(有名な話らしいのですが、知らなかった…)  先述した「それぞれの曲の強烈なキャラ」というのは、普段聴く”音楽好きのための音楽”とは違う、メインストリームから一歩引いた、非常に映画音楽的な世界観から生み出されたものなんだと理解。溜飲が下がりましたm(_ _)m

 

 

 

 

 

 

dummy

dummy

 

 

 

 

名前をつけてやる / スピッツ

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[名前をつけてやる / スピッツ] (1991)

 

 

尾崎・B’zミスチルと並んで僕の邦楽の原体験に近いアーティストがスピッツ。親世代の音楽はやっぱり記憶に残りますね。嗜好と格差は遺伝する。。 

 

Wikipediaを始め多くのサイトで既出の情報ですが、この「名前をつけてやる」というアルバムは、ライドやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインといったシューゲイザー・バンドからサウンド面において強い影響を受けています。特に6曲目「プール」はまさにライド×歌謡といった感じで、耽美さ・浮遊感においてはUKシューゲイザーサウンドの雰囲気を踏襲しつつ、スピッツにしか出せないような脱力感・透明感も醸し出す人気曲。タイトルチューンである3曲目「名前をつけてやる」も歪んだギターの音や【膨らんだシャツのボタンを 引きちぎるスキなど探しながら】という歌詞が素敵ですね。ストレートにエッチです。萌えの極意は脱ぎより着せにありとはまさにこのこと。

 

このようにサウンド面がスポットライトを浴びがちなこのアルバムですが、歌詞の浮遊感もなかなかのもので、いい意味でメッセージ性を感じさせない、浮世離れした“初期マサムネワールド”を展開しています。9曲目「あわ」は僕がスピッツで最も好きな曲の一つで、抽象的だけどなんとなく元気が出るようなノリがこの曲を愛す所以たる所以。20年以上ライブでは披露されていない曲らしいけど、いつか生で聴いてみたいなあ。

 

しかしながら、このアルバムがヒットを飛ばすことはありませんでした。「魔女旅に出る」なんて駅の発車メロディーにアレンジしても違和感のないほどポップでキャッチーな旋律なのですが、やはり壁は厚かった。当時の趨勢を考えると仕方のないような気はするものの、歌謡チックなシューゲイザーだなんてすごく”オイシイ“ジャンルを確立しようとした気概の手前、なんだか勿体無いなあと思ってしまいます。

 

「名前をつけてやる」の売り上げが芳しくなかった結果、スピッツはコテコテのシューゲイザー路線から離れてゆくのですが、もし売れていたら。邦ロックは大きなムーブメントを迎え、ミッシェルや「98年の世代」といったバンド群は生まれていなかったのかなあ、なんてことを2月のライド来日公演の折に妄想する筆者でした。

 

 

 

 

名前をつけてやる

名前をつけてやる

 

 

 

 

 

cult grass stars / thee michelle gun elephant

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[cult grass stars / thee michelle gun elephant] (1996)

 

 

チバユウスケが”少年“のようだった頃、このアルバムはイカしてて、お洒落で、切なくて、情けなくて。

 

 

ミッシェル・ガン・エレファントのメジャー1stアルバム「cult glass stars」。「世界の終わり」そして「cult grass stars」が発表された1996年、邦楽界にはどちらかというと”明るい“とか”楽観的“とか、ポジティブな言葉に共鳴する雰囲気が流れていたのではないでしょうか(後追い世代なので憶測の域を出ませんけど)。小室ファミリービーイング系のアーティストが覇権を握り、それに対して決してNoと言わせないような空気が90年代発売の作品からは窺えるのですが、そんな中、メジャーのフィールドに一石を投じたのがミッシェル、そして「世界の終わり」ではないのかな、と思うのです。

 

僕とミッシェルとの馴れ初めはアベフトシ没後のベストアルバムである「THEE GREATEST HITS」。そして、それを聴いてまずハッときた2曲のうちのひとつが4曲目「世界の終わり」でした。パブ・ロックやガレージ・ロックからの影響を感じる粗削りな録り方やボーカルの強烈なしゃがれ声とは対照的な、虚無的でリリカルな歌詞。そのギャップにイチコロだったことは言うまでもありません。

 

すぐに中学校近くのTSUTAYA(地元は田舎なのでツタヤすらない)でこのアルバムを借りて、ミッシェルにどハマり。恥ずかしながら僕は頭の鈍い人間なので、どんな音楽を聴いても最初は「ピンときいひんなあ」と思うことが多いのですが、ミッシェルはそんなことなかった。カサノバ・スネイクとは一味違ったドライなサウンドが強く突き刺さったな。

 

「世界の終わり」「ブラック・タンバリン」「I was walkin' & sleepin'」「いじけるなベイベー」

 

直アンの弦楽器、ほとんどエフェクトの掛かっていないボーカル・ドラム。同じ人たちが、同じ楽器を、同じ機材で、同じ方法で録ってるのに全く飽きがこない感覚は、ある意味でクラシックにも通ずるものがありました。thee michelle gun elephantは初期・中期・後期という線引きが比較的はっきりしていて、まさに十人十色、各々で”推し”の時期が分かれるバンドだと思います。初期が大好きな僕にとっては後期のワルっぽい雰囲気、横文字だらけ歌詞にはいまいち関心が薄いのですが、このスタンス(録り方以外…)を貫いたバンドの姿勢というのは本当にかっこいい。The Birthdayのライブに行ってみたいな。。。チバの声が聞きたい。。。。

 

 

 

 

cult grass stars

cult grass stars

 

 

回帰線 / 尾崎豊

 

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[回帰線 / 尾崎豊] (1985)

 

 

尾崎豊のセカンド・アルバム。尾崎はこの作品でチャート初登場1位を獲得。

なにせ15年も前の出来事なので記憶もおぼろげですが、このアルバムとの出会いは就学前。母が居間で偶然流していたのが5曲目「卒業」で、この曲にとてつもない衝撃を受けたことを覚えています。4,5歳のボウズにとっては(もちろん星新一筒井康隆にも出会う前)あまりにエキセントリックな歌詞、とてもじゃないけど余裕は感じられない叫びのような歌声。もちろん当時そんな言葉は知らなかったけど、まさに”刹那性“を強く感じさせる曲でした。どう考えても今は受け入れられないオーバーなアレンジやナルシシスティックな姿勢も、何も知らない当時だったからこそストンと入ったのでしょう。こうして、僕は彼のその楽曲たちに引きこまれてゆくのです。

 

「回帰線」はクラシックに傾倒していた小学校低学年の僕にとっては、初めて「歌詞を意識して聴く」という経験をもたらしてくれたアルバムで、また「卒業」はそのあと数年の人生の指針ともなる曲でした。よくもまあ学童保育の保護者会の打ち上げで「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」なんて熱唱できたなあといまは思うけど、その社会性のなさも尾崎の歌詞を前にすると妙に共感するものがあったのかもしれませんね。

 

 

ノリノリのロックン・ロールナンバーである「Scrambling Rock'n'Roll」から始まり、”鉄喰らいのすヽめ“「Bow!」、尾崎の緩急の美学を象徴する「ダンスホール」、若さ・反骨・道徳観の集大成「卒業」などの曲を経て、「シェリー」に終わる。崩されてはならないこの一本線がまさにTROPIC OF GRADUATION、卒業を以って最高度となる思春期の輝きだったんだろうな、と僕は思っています。

 

 逆張り逆張りを重ねていた小学校高学年・中学生時代、このアルバムは良くも悪くもそんな僕を肯定してくれる数少ない存在でした。理由なき反抗に理由を与えてくれました。あのとき回帰線を聴いていなかったら・・・ちょっと想像がつかない。

 

 

そのうち尾崎の歌詞を模倣しているだけの自分に嫌気がさして、このアルバムから距離を置く時期が僕にやってくるのですが、それはちょっと後のお話。 

 

 

 

 

 

回帰線

回帰線

 

 

 

 

ああああああああああああああ


昆虫キッズ【魔王】 2010/10/13 東高円寺UFO CLUB

 啓蒙思想から離れ~

 

 

 

啓蒙思想って何?」と訊ねられたにも関わらず、筋の通った説明をできなかった自分が悔しくて書きなぐり。冷静に見たら恥ずかしくなって消しちゃんでしょうね。蒙昧無知。。。

 できる限り客観で書いてみようかと思ったけど、ダメでした。

あと後藤武士風に文章書くとやりやすい。

 

 

 

 

 啓蒙思想を説明する上で、必ず「理性」という存在(存在物ではないけど)を理解しなくてはならない。手元にある広辞苑第三版で「理性」を引くと

 

概念的思考の能力。実践的には感性的欲求に左右されず思慮的に行動する能力

 

とのこと。難しくてよくわからない。ちょっと違うけど、すごーく平たく言えば動物的行動(あれもこれも!みたいな)に対する抑止力、っていう認識でいいのかな。

つか今広辞苑って第六版まで出てるんだね、すげえ〜

 

閑話休題

紀元前ギリシアには後の理性の嚆矢となる思想を開くピタゴラスソクラテスなどの哲学者が既に出現していた。色々あったけど、すごく密接に関係している訳ではないから古代哲学は省略。古代哲学ありきの今現在なんだけどね(でも自分はよくわかってない)。

 

その前に迫害→公認みたいなプロセスがあるものの、決定打となったのは392年のローマ帝国キリスト教国教化。これは同時にヨーロッパ世界が暗黒時代に突入したってことを意味するんだ。とどのつまりは魔術と宗教が俗世間を支配してしまい、中世ヨーロッパにおいて理性は機能しなくったということ。

そりゃ地球平面説とかがもう常識として刷り込まれていた時代だもん。4頭の象さんと1匹の亀さんが僕達の大陸を支えてるのなんてびっくりじゃない?それこそピタゴラスが1000年近く前に地球球体説を唱えていたのに、だよ。

でもそれが当たり前だった。もちろん当時を生きていたなんてことはないけど、「昼の後には夜が来る」みたいな感覚でそれは確かに存在していたんだろうな。

 啓蒙思想はそんな中で生まれた「失われた理性を取り戻そう」という思想。その前に色々な準備段階があったんだけどね。宗教改革とか、ルネサンスとか、大航海時代とか…。でも社会の構造そのものが変わるようなことはなかった。

そもそも啓蒙思想の英訳がEnlightnment。En(名詞の動詞化)light(光,照らす)nmentというのが語源だから、そのままだよね。

18~19世紀にはルソーやヴォルテールを筆頭とする啓蒙思想家たちが主張を展開し、後に第一次産業革命、フランス市民革命、ヨーロッパじゃないけどアメリカ独立戦争などが発生。蒸気機関が導入され、資本主義が誕生し、市民社会に目覚める。もうすごいよね、全部今の暮らしの基幹だよ、これ以上にないエポックメイキング。これらの出来事を起因として人々は理性を取り戻していくと共に、科学と宗教は分離されていく。こうしてヨーロッパ社会の構造は変化し、世界は近代への歩みを一歩進めたんだ。

 

日本の啓蒙思想家といえば、慶應義塾を創設した福沢諭吉。彼は色々書いてるけど、多分「社会を客観的に見てみろ」ってことを言いたかったんじゃないかな。それも即ち啓蒙主義へのアプローチの一つだし、個人的には一番飲み込みやすい啓蒙思想だと思う。

中世ヨーロッパっていうのは要するに

 

 

 

 

 

 

飽きた 

 

 

 

何よ…何とかしなくちゃいけないんだからしょうがないじゃない!

私だって好きなことだけやって、それだけで何とかなるんだったらそうしたいわよ!

自分が不器用なのは分かってる。でも…今更アイドルをはじめようなんて、私が言えると思う…?





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