名前をつけてやる / スピッツ

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[名前をつけてやる / スピッツ] (1991)

 

 

尾崎・B’zミスチルと並んで僕の邦楽の原体験に近いアーティストがスピッツ。親世代の音楽はやっぱり記憶に残りますね。嗜好と格差は遺伝する。。 

 

Wikipediaを始め多くのサイトで既出の情報ですが、この「名前をつけてやる」というアルバムは、ライドやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインといったシューゲイザー・バンドからサウンド面において強い影響を受けています。特に6曲目「プール」はまさにライド×歌謡といった感じで、耽美さ・浮遊感においてはUKシューゲイザーサウンドの雰囲気を踏襲しつつ、スピッツにしか出せないような脱力感・透明感も醸し出す人気曲。タイトルチューンである3曲目「名前をつけてやる」も歪んだギターの音や【膨らんだシャツのボタンを 引きちぎるスキなど探しながら】という歌詞が素敵ですね。ストレートにエッチです。萌えの極意は脱ぎより着せにありとはまさにこのこと。

 

このようにサウンド面がスポットライトを浴びがちなこのアルバムですが、歌詞の浮遊感もなかなかのもので、いい意味でメッセージ性を感じさせない、浮世離れした“初期マサムネワールド”を展開しています。9曲目「あわ」は僕がスピッツで最も好きな曲の一つで、抽象的だけどなんとなく元気が出るようなノリがこの曲を愛す所以たる所以。20年以上ライブでは披露されていない曲らしいけど、いつか生で聴いてみたいなあ。

 

しかしながら、このアルバムがヒットを飛ばすことはありませんでした。「魔女旅に出る」なんて駅の発車メロディーにアレンジしても違和感のないほどポップでキャッチーな旋律なのですが、やはり壁は厚かった。当時の趨勢を考えると仕方のないような気はするものの、歌謡チックなシューゲイザーだなんてすごく”オイシイ“ジャンルを確立しようとした気概の手前、なんだか勿体無いなあと思ってしまいます。

 

「名前をつけてやる」の売り上げが芳しくなかった結果、スピッツはコテコテのシューゲイザー路線から離れてゆくのですが、もし売れていたら。邦ロックは大きなムーブメントを迎え、ミッシェルや「98年の世代」といったバンド群は生まれていなかったのかなあ、なんてことを2月のライド来日公演の折に妄想する筆者でした。

 

 

 

 

名前をつけてやる

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